花守の日々

稽古

いけばなの哲学は堅苦しい?

私がいけばなを始めたころは、真・副・体から教わりました。それを世界の3つの重要な働き天・地・人に置き換え、世界観を学びます。今は、そんな堅苦しいことからはじめるとだれもいけばなをやらなくなるからと、自由花がスタートになっています。

でも、「供花」から“池坊専応口伝“でいけばなに哲学が生まれたことで「華道」へと昇華した歴史的背景を考えると、お手軽にとりあえず通り過ぎようとすると結局後でつまづく、そもそもそこに日本の品格があるのだから、易々と手放すのは心苦しいのです。

何気なくそのような話ができるお稽古場という環境をなくしたくないなぁ、と思っています。



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